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たまひじりのA知探Q 学びの玉手箱!
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聖ヶ丘ニュース
校長

【校長ブログ】認知症との歩み ~長谷川先生の学び

 5年前の夏、高知龍馬空港の待合室での出来事。92歳になる母嫌と二人で福岡空港から到着し、送迎バスを待っていた時のことでした。隣に座る母親が突然、「どなたが存じませんが、送っていただきありがとうございました」と、私に深々と頭を下げたのです。機中では家族のことや全国で足を踏み入れた都道府県はないなど、とりとめもない話をしていた母でしたが、小さな待合室でしばらくの沈黙が続いた後のことでした。あまりの言葉に呆れ、「何言っているの!」という言葉さえ出ませんでした。10分後に乗ったバスの中では普段の母に戻りましたが、このとき初めて「認知症になると記憶がまだらに消えていく」ということを実感しました。それからの3日間は、何一つ変わった様子はなく、合流した私の家族と一緒に楽しく旅を満喫しました。その後、福岡の飛行場に戻って迎えに来た妹に母を託す時、「やっぱり、母さん時々ボケるのよ」と。一人の生活になってからも年に十数回も旅行をした母との思い出となった高知旅行から1年後、母は旅立って行きました。

 そのことを思い出したのは、先週末、日本の認知症研究の第一人者であった長谷川和夫先生(認知症介護研究・研修東京センター名誉センター長、聖マリアンナ医科大学名誉教授)92歳で老衰のため亡くなられたニュースを知ったからです。長谷川先生は、1974年に「長谷川式簡易知能評価スケール」を開発したことで有名で、認知症の早期発見を可能にした精神科医です。また、痴呆(ちほう)症という侮蔑的な言葉を、認知症と言い改めることにも取り組んでもきた方としても知られています。後年、長谷川先生自らが認知症を患われてからも、ご家族の理解と支えがあって数々の講演会をなさっており、幾度かテレビ番組で見たりもしました。

 その先生の行動とそれを支える家族の介護の様子については、2020111日放映のNHK総合テレビ『認知症の第一人者が認知症になった』という番組で紹介されました。先生自身は、かつて先輩医師から「君自身が認知症になって初めて君の研究は完成する」という言葉を授かったと語っています。88歳の時に認知症であることを公表しながらも、医師としての見識にあふれ気丈に活躍なさっていました。講演会の聴衆を前に、家族の助言を無視して突飛な行動に出る先生でしたが、「認知症でも終わりではない。」「認知症になっても、その行動には意味がある。」と、語っておられたのが印象的でした。生涯をかけて認知症と向き合った長谷川先生は、認知症は余分なものをはぎ取ってしまう心配はあるけれど、心配することにさえ気づきがないと、番組の中で笑い飛ばしていました。その傍らで見守る奥様が、先生の好きなベートーヴェンの『悲壮』を練習している姿で番組は幕を閉じます。「だめだわ。どこを弾いているか分からなくなる。」「少し練習しておきましょう。本当の『悲壮』になるのだから。」と。

 残念ながら先生から直接、お話をお聞きする機会はありませんでしたが、認知症研究と治療に生涯を捧げた長谷川先生のたゆまない学びへの姿勢と研究心に感動すると共に、これまで付き添われたご家族の皆様のご愛情とご心中をお察しいたします。先生のご冥福を謹んでお祈り申し上げます。

合唱