小さな学校の大きな挑戦

たまひじりのA知探Q 学びの玉手箱!
たまひじりのA知探Q 学びの玉手箱!
聖ヶ丘ニュース
校長

【校長ブログ】ベイルートは今…

 今日で1学期の期末考査が終わりです。COVID-19感染症対応の今夏は1週間だけという短い夏休み(夏期休業)となりますが、大学受験にむかう高校3年生を除いて明日からが実質的な休み(自宅学習)となります。しかし、感染症拡大の傾向は衰えることはなく、部活動も限定的ですし、外出や旅行もままならない非日常の状況が続きます。こうした中ですから「夏の課題」はできるだけ少なくするようにと、先生方にお願いしました。その分、読書やインターネットなどを活用して世界や地域社会について関心を深め、考察してほしいと思います。60齢半ばの私の人生の中で、国内外の旅行のまったくない夏は初めての経験です。そこで、世界各地にいる知人や卒業生にメールで連絡したり、ネット電話などで会話をしたり交流したいと思います。

 ところで、皆さんはベイルートという町を知っていますか?つい最近、大きな爆発事故・事件があり、その時の映像がテレビやネットニュースでも大きく取り上げられていますから、それで知った人も多いでしょう。また、日産自動車の前会長で保釈中に密出国したC.ゴーンCarlos Ghosn被告が住んでいる町として、その名を聞いたことがあるかも知れませんね。

 このベイルートという町の存在を、私が実感したのは今から35年前、東京都国際教育研究協議会主催の研修会でした。その日は、西アジア各国で海外駐在経験のある駐在員家族の方々から、現地の生活事情を聞くことができ、その時に印象的だった言葉を今でもいくつか覚えています。その一つが「ベイルートは、フランスパンが美味しい町」という言葉でした。地歴科の授業で習う「レバノンは、かつてフランスの支配下にあった」という歴史的な事実より、実感をもって感じられたからです。現に84日に起きた「ベイルート大爆発事件」の3日後、フランスのマクロンEmmanuel Macron大統領はいち早くベイルートを視察して、支援を表明して影響力を誇示しています。

 西アジアについて少し知識のある人は、イスラーム教徒が多数派を占める地域というイメージがあるでしょう。確かにレバノン国民の95%はアラブ人ですが、レバノン自体はキリスト教徒が多数を占める、西アジアでは例外的な国なのです。また、「地理」の授業を通して、地中海に面するアジアの西端地域の一角には、ナイフを刺したような尖った形をしたユダヤ教徒の国:イスラエルと国境を接していること、アメリカ合衆国とロシア連邦を後ろ盾とした内戦で解決の糸口さえ見えない国、その間隙を縫ってISという組織が一次的に国土の一部を支配した国:シリアとも国境を接していることを、学んだ人もいることでしょう。

 こうした経緯からレバノン国内に存在する各派閥間で対立が多く、1975年から15年間は「レバノン内戦」と呼ばれる戦争状態が続き、人々にとっては紛争が日常でした。その後も断続的に武力衝突やテロが頻発し、やっと2年前に外務省の渡航レベルが引き下げられ、観光することができるようになったばかりでした。私も2年前の夏にレバノンを再訪した際、ベイルート滞在中は毎朝「中東のパリ」と形容される美しい海岸通りを散歩し、ケーキ屋の名店も町の各所にあって楽しむことができたのですが…。皆さんからすれば、西アジアの端にある国が「パリ」と呼ばれることや、パンやケーキという食文化のイメージと結びつかない、と思う人もいるでしょう。

 「世界史」の授業に登場するフェニキア遺跡、2000メートルを超える山々と、国旗にもデザインされているレバノン杉、それに高級チョコレートのパッチPATHI(日本では販売していない?)など、魅力がいっぱいの国、それがレバノンなのです。しかし、もう一つの現実は「中東のパリ」という名とは裏腹に、町の中心部には今でも銃撃の痕跡の残るビルがたくさんあり、ダッダッという音ですぐに身を隠す習慣がついているとも言えます。市民からすれば、この2年間の「平和な時代」の方が例外なのかも知れません。複雑な利害関係を背景に汚職と腐敗が横行して経済は混迷の一途、再び治安の悪化に見舞われています。それゆえ、政府の主要ポストは、18の主要な宗派・派閥で配分され、その微妙なバランスの上に政府は成り立っているのです。

 その上、今回の大爆発によって隣接する穀物倉庫が破壊され、食糧事情は逼迫しているとも伝えられており、庶民のデモを背景に結果的に内閣は総辞職ということになりました。しかし、組閣そのものが先に挙げた派閥の力関係によって混迷しているとも言われています。そこには、今回の爆破で命を落としたり、家を失ったりした人々の姿はないのです。

 折しも今月は「戦争について考える夏」です。皆さんも、ベイルート大爆発を、他人ごととして済ませるのではなく、政治の役割や日常生活の在り方について考えてみましょう。

「中東のパリ」…中東という表現は、ヨーロッパ(主にイギリス)からみた地域概念の一つで、アジアを近東、中東、極東と分けた呼び方。現在では、東西南北の方位を使って表すことが多い。従って、中東⇒西アジアとほぼ重なる。町並みの美しさから、かつて「中東のパリ」と呼ばれた。